水のコラム

キッチンと風呂の由来は?歴史が長い2つの設備【矢野】

2024年10月18日  その他


こんにちは、水道職人の矢野です。
 
11月2日はキッチン・バス工業会が2005年に制定した、「キッチン・バスの日」です。
キッチン・バスの日は「文化の日の前日に、家庭文化のあり方を考える日」という目的をもった記念日です。
また、システムキッチンや浴室ユニット・浴槽などへの理解の促進と、工業会の認知度向上という目的も併せもっています。
 
なお、11月2日が選ばれた理由には、「Kitchen-Bath」のそれぞれの頭文字が関係しています。
アルファベットではKが11番目、Bが2番目ということで、11月2日が記念日として選ばれました。
 
そこで今回は、キッチン・バスの日に合わせて、キッチン・風呂の由来など、キッチンや風呂の雑学をご紹介します。
 

キッチンの名称と遷移


キッチンの呼び名は、時代の背景などにより変化しているのです。
 

キッチンの最初の呼び名は台所だった

近年はキッチンと呼ばれることが多くなりましたが、キッチンと呼ばれる前は台所と呼ばれており、台所の由来は平安時代まで遡ります。
 
平安時代の貴族の屋敷には、「厨(くくりや)」と呼ばれる調理空間が設けられていました。
さらに、厨とは別に「台盤所(だいばんどころ)」という、配膳専用の独立した空間も存在していたのです。
台盤とは食器や飲食物を乗せる台のことを指します。
 
台盤所は徐々に略して呼ばれるようになり、略称となったのが「台所」です。
 
また、台所は清涼殿の一室といわれ、女房の詰め所でもありました。
女房とは屋敷の主の妻を指し、台所を仕切る人でもありました。
このことから、丁寧語になる「御」という言葉を頭に付け、貴人の妻のことを「御台所(みだいどころ)」と呼ぶようになったのです。
 
時代の変化で台所は形を変え、室町時代では厨と台所が同じ建物の中に造られるようになりました。
これには、厨から台所に料理を運ぶための手間を省略するという理由が挙げられます。
 
厨と台所が一緒の空間に造られたことにより、調理するための設備と、盛り付けるための台が一緒になった場所を台所と呼ぶようになりました。
 

一部で呼ばれていたお勝手

台所近くにある出入り口のことを「勝手口」といいます。
その出入り口のことを、なぜ勝手口と呼ぶのか、疑問に思ったことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 
勝手口と呼ばれるようになったのは、台所が「お勝手」と呼ばれていた時代があったことに由来しています。
 
室町時代では、台所を仕切る人間が、屋敷の主人の妻から使用人へと変わりました。
 
この時代は男性の権力が強く、男社会が顕著にあらわれている時代でもあったのです。
使用人の女性たちは屋敷の中で自由に動き回ることや、使用人仲間と雑談することは許されず、息が詰まる環境で働いていました。
 
しかし、台所だけは使用人の女性たちが自由に過ごせたのです。
男性の目を気にせずに、食事を取ったり使用人仲間と談笑したりできました。
使用人の女性たちにとって、唯一勝手に過ごせる場所であったことから、丁寧語の「お」を付け、お勝手と呼んでいたのです。
 
勝手口とは、使用人の女性たちが自由に行き来できる出入り口であったことから、勝手口と呼ばれるようになりました。
 

ステンレス製の流し台の登場

現代では主流となっているステンレス製のシンクは、昭和31年に登場しました。
それ以前の流し台は、木製のものや、人工石で造られたものが主流でした。
 
昭和31年に建てられた公団晴海団地では、ダイニングキッチンスペースが設けられ、この際、ステンレス製の流し台が採用されました。
ステンレス製の流し台はピカピカと輝いており、清潔感にもあふれ、木製や人工石で造られた流し台から主流が移ろいで行きます。
 
ダイニングキッチンが登場する前は、台所で料理を作り、茶の間で食事を取っていました。
しかし、ダイニングキッチンでは茶の間で調理し、食事も取るようになったのです。
この際、卓袱台(ちゃぶだい)で食事を取るスタイルから、テーブルと椅子を使用するスタイルへと変化しています。
 
さらに、ステンレス製の流し台の普及に伴いダイニングキッチンは定着し、冷蔵庫や炊飯器などの家電製品も家庭に浸透していったのです。
 
ダイニングキッチンとは食堂という意味をもつ「Dining Room」と、台所の意味をもつ「Kitchen」という2つの言葉からなる和製英語です。
キッチンは、ラテン語で火を使用するところという意味をもつ「Coquina(コキーナ)」が語源だといわれています。
 

システムキッチンの登場

昭和40年代の後半に、それまでのキッチンよりも豪華できれいなキッチンということで、システムキッチンが登場します。
システムキッチンには調理台やシンクだけではなく、キャビネットなどの収納場所が造られました。
また、食洗器などのさまざまな便利機能が現代では搭載されています。
 
昭和40年代は、質が良いものをそろえようという時代でした。
そんな時代背景もあり、利便性が高く、便利な設備が搭載されているシステムキッチンが主流になっていきました。
 
システムキッチンも和製英語で、「システム論」とキッチンを組み合わせた言葉です。
クリナップ研究開発本部取締役の岡本孝之氏が名付けた言葉でもあります。
 

風呂の名称と遷移


風呂もキッチンと同様に、時代によって呼び名やその姿が変わっているのです。
 

風呂の由来

風呂という言葉は、「室(むろ)」が派生したものだといわれています。
岩山を掘って室を造り、石を積み上げて作った窯の中で、シダや枯れ葉を炊き、蒸し風呂のようにしたものが室と呼ばれていました。
現代ではサウナと呼ばれているものが、風呂の始まりなのです。
 
石でできた室は、平安時代に弘法大師が造り、里人の病気を治療したことが始まりだといわれています。
この室には近郷の人々だけではなく、京の都から公家や高僧など、難病や業病を患った方が治療に訪れていました。
 
弘法大師が造った室は、岩にできた自然の横穴を利用したもので、約50平米(15.13坪)という大きなものです。
この室の中で、焼いたシダに海水を浸したむしろを敷き詰め、室の中に発生した蒸気や熱気で身体を温めていました。
 
自然の石造りの室は現代でも残っており、桜井石風呂という名称で愛媛県今治市にあります。
 
また、室は貴族などの資産家の屋敷や寺でも開かれることがありました。
施浴(せよく)は、病気の人々や貧しい人々だけではなく、囚人も対象として開かれていたのです。
 
参考:桜井石風呂
 

銭湯の普及

安土桃山時代から江戸時代にかけて、銭湯が普及しました。
銭湯の元祖は平安時代に登場した湯屋といわれており、湯銭(ゆせん)を払って利用することから、銭湯と呼ばれています。
 
当時の銭湯は蒸し風呂が主流でしたが、浅く湯を張った「戸棚風呂」が登場したことで、その姿を変えることになるでしょう。
戸棚風呂は現代の足湯と同じ様に、膝下だけを湯に浸けるというもので、上半身は変わらず蒸気や熱気で温めていました。
 
戸棚風呂が登場して以降、身体が湯に浸かる部分は徐々に増えていきます。
慶長19年には全身が湯に浸かる、「据風呂(すえふろ)」や「水風呂(すいふろ)」が登場し、庶民の生活にも広がっていきました。
そして現代の、顔から下を湯につけるという銭湯スタイルが確立したのです。
 

自宅への風呂の普及

現代でも年代が古い集合住宅では風呂の設備がないということもありますが、自宅への風呂設備の導入は、江戸中期から始まっています。
 
当時の風呂は「木桶風呂」と呼ばれる、木の桶に水を張り、火を着けた薪を鉄の筒の中に入れて湯を沸かして使用する形でした。
また、「五右衛門風呂」と呼ばれる、鉄の釜でできた桶の下で薪を炊き、木製のスノコを入れて湯に浸かるものなどもありました。
 
しかし、江戸時代は火災が多く、自宅に風呂を導入する方は少なく、銭湯が人気だったのです。
銭湯は社交場であり、娯楽施設でもあるという、湯に浸かる以外の側面ももっていたのでしょう。
 
本格的に自宅に風呂設備の普及が進んでいくのは、インフラの整備が整ってきた、高度成長期以降の話です。
また、家への風呂の普及に伴い、浴槽もステンレス製の浴槽が誕生したり、FRP浴槽が誕生したりと、姿を変えていきます。
 

ユニットバスの登場

現代では普及率が高いユニットバスは、昭和39年に開催された東京オリンピックが契機となり誕生しました。
 
東京オリンピックではたくさんの観光客の来訪が予想され、観光客が宿泊するためのホテルの建設に力を入れていました。
それにより、1058室ある17階建てのホテルニューオータニを17カ月で建設するという、当時の常識では考えられないスピードでの建設が予定されたのです。
当時は1000部屋あるホテルを建設するためには、最低でも3年は必要といわれていた時代です。
ホテルニューオータニの建設計画は規格外だったといえます。
 
そして、ホテルニューオータニの建設に関わっていたのが、TOTOです。
 
ホテルを短期間で建設するためには、浴室工事を短期化することや浴室の軽量化など、浴室まわりの施工を簡略化する必要がありました。
そのため、建築現場で組み立てが不要になるように、ホテルの設計施工を担当していた大成建設は、浴室のプレハブ化をTOTOに依頼したのです。
 
大成建設の依頼を受けたTOTOは、「セミキュービック方式のユニットバス」を開発し、1044室に2カ月でユニットバスの据え付け工事を完了させました。
このときに造られたユニットバスが原型となり、現代のユニットバスの普及へとつながります。
 
ユニットバスは、規格内の製法で造られた「ユニットパーツ」を、「ユニット工法」で制作したことからきている名称です。
 

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旧時代と比較すると、現代ではキッチンの設備も風呂の設備も随分と発展しました。
しかし、発展に伴い、水まわりで起こるトラブルは、自分で解決することが難しくなっていっているのです。
 
風呂やキッチンなどの水まわりでは、水漏れや詰まりといったトラブルが多くのご家庭で発生します。
お客様が自分で対処できる軽いものもありますが、知識がないと対処できないというケースも多くあるのです。
 
とくに、水栓はその進化がハイスピードで進んでいます。
同じ様な見た目をしていても、ご自宅に設置されているものと、数年後に発売された後継品では、機能が大きく変わっているということがあるのです。
使用されているパーツも変わり、どの機能が壊れたかによって修理方法もそれぞれに異なるため、常に知識のアップデートが必要です。
 
お客様が自分ですべての情報をアップデートし続けることはとても難しく、水栓を分解したけれど、修理方法が分からないことや、修理したのに直らないということが起こり得ます。
 
えひめ水道職人は、高い知識と技術を備えた自社社員しか在籍していません。
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